編集者は
「アーティスト」たり得るのか
藤田 悠さん
(ダイヤモンド社 書籍編集局
第二編集部 副編集長)
Yu
Fujita
2020年2月に、ダイヤモンド社から発刊された『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』。
発売されてまもなく、新型コロナ感染拡大のため世の中は自粛モードへと突入。緊急事態宣言を受けて街の書店の多くが休業するなど、書籍を販売する上でも厳しい状況に陥りました。しかし、この本は大きな反響を呼び、発売4ヶ月にして8万部を超える勢いで、部数を伸ばし続けています。
著者は、中学・高校の美術教師として活躍してこられた末永幸歩さん。
読者は、著者が投げかける「6つの問い」に向き合いながらこの本を読み進めることで、まるで授業を受けているかのように「アートを通して思考する」体験を重ねていきます。
今回は、本書の担当編集者であるダイヤモンド社の藤田悠さんにインタビューを依頼。スターダイバーの編集者・重田が聞き手となり、どのような経緯で『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』が生み出されたのか、また、藤田さんが編集者としてどのように本づくりをされているのか、
お話を伺いました。
(聞き手:重田玲 編集協力:矢本祥子)
「こんなに面白い持ち込み原稿は、
生まれて初めてでした」
——インパクトのあるイエローの装丁に、帯には著名人からの推薦文。思わず書店で手にとって、そして「はじめに」を読んで、すっかり心を掴まれてしまいました。どういうキッカケで、藤田さんが編集を手がけることになったのですか?
藤田:以前僕が編集を担当した『直感と理論をつなぐ思考法』の著者、佐宗邦威さんから紹介されたことがキッカケです。「知り合いからこういう原稿が来たんですけど、どうですか」と、末永さんが書いた原稿が送られてきました。編集者をしていると持ち込み企画の相談はよくあるのですが、正直なところ、イマイチなものが多かったりしませんか…? しかも、末永さんは著者として大きな実績があるわけではなく、悪く言えば「ただの学校の先生」でした。でも、「お世話になっている著者からの紹介だし、一応読むか…」と思ってページをめくったら、すごく面白くて。
——なんと、持ち込み原稿だったのですね。
藤田:にもかかわらず、最後までその場で読んでしまいました。ページをめくる手が止まらなくて…。こんな経験は初めてでした。たしかに無名の著者でしたが、逆に言うと、そのハードルを除けば、「コンテンツとしてはめちゃくちゃ強い!」という手応えがありました。
——一読して、どこが「面白い!」と思われたのですか?
藤田:僕自身、大学で哲学を学んできたということもあって、“自分に見えている世界が、実はあるがままの世界だとは限らない”というような、どんでん返し感が好きで。この本ではアートの6つの授業が行われるのですが、そんなどんでん返しが6回起こるような構造になっているんですね。「あぁ、そうか、これが真実だったんだ…」と思うと、「それも実は夢だった!」みたいなことが何度も続く。まるで、どんどん地面から足が離れていって、空中にふわふわ浮いていくような感覚に陥りました。いちばん魅力を感じたのはそこですかね。
——たしかに、読んでいると「そういうことだったのか!」と、知らなかった答えが見つかった気になるのですが、でも、実はそれすらも答えじゃないということの繰り返しで、それがすごく新鮮でした。
藤田:結局、学びというのは、「自分は何も知らなかったんだな」と気づくプロセスと表裏一体です。それが1つでも入っていれば書籍のコンテンツとしては成立すると思うんですが、末永さんの原稿はそんな学びの体験で溢れていたので、「この本は絶対に世に問うべきだ!」とすぐに確信できました。
著者の強みを活かした
本づくり
——この本の特徴の1つが、ただ単に「文字を読んで知識を得る」というよりも、著者から提示される問いに向き合いながら、まるで授業を受けているように読み進めていく…というところにあると感じました。この特徴も、持ち込まれた段階で完成していたのですか?
藤田:そうですね、最初から授業形式になっていました。ですが編集者としても、ただ単に「知識を提供する」本では、著者の強みが生かせないと考えていました。著者は中学・高校の教師であり、授業という「体験」を提供できることが強みだと思っていたので。美術のウンチクばかりにならないよう著者にリクエストしましたし、「キュビスム」とか「印象派」みたいな専門用語もあえて使わないようにしました。巷によくある「現代を生き抜く教養を身につけろ!」みたいな知識提供型の本とは差別化したものを作りましょう、そういった本に対するアンチテーゼにしましょう、という意識を著者と共有していました。
——たしかに、わかりやすくノウハウを提供する本とは毛色が違うというか…ビジネス書でありながら、「ビジネスの現場」というよりも「人生」「生き方」にグッと響く本だという印象を受けました。
藤田:ビジネス書の体をなしていますが、コンテンツとしてはビジネスだけに使える話ではない、と最初から思っていました。それは大前提としてあったのですが、ただ、この本をより多くの方に手に取っていただくためには、「ビジネス書の文脈」にのせたパッケージにするほうが得策だと考えました。
——編集者として、このコンテンツがより広がっていく可能性があるマーケットを選択したということでしょうか。
藤田:この本を、普通に「13歳向けの美術の本」として作ってしまうと、美術書コーナーや教育書コーナーに並べられてしまい、その分野に興味のある人の目にしか触れません。ですが、普段、美術書や教育書を手に取らない人にこそ手に取ってもらいたいと思っていました。そう考えると、パッケージはビジネス書の「文法」に則ったものにするのがベストだという判断になったんです。ですから、ビジネスパーソンがグッとくるような著名人からオビ推薦文をいただくというプランは、かなり早い段階から決めていましたね。ふつうの美術教師が書いた本を、ビジネス書の棚にまで引っ張ってくるためには、そういう明確なシグナリングが欠かせないと考えていたんです。
ロジカルに作られた本だからこそ、
できることがあるはず
——『13歳からの〜』は、原稿自体が非常に読者に対して丁寧というか、読み手の思考や心に寄り添った文章だと感じました。ロジカルであり、一つひとつのエピソードがちゃんとつながって、1本の線になっているな、と。
藤田:もちろん末永さんの原稿がそうだったわけですが、ロジカルに本を作るということは、僕自身のこだわりでもあります。読んで「残る本」は、ちゃんと文脈(コンテクスト)がある。文脈があると、人は腑に落ちる。そして腑に落ちれば、考え方や行動の変化につながる。原稿の各部分と全体がちゃんとつながっていることは、本づくりで大切にしている点です。
——複数のトピックが並んで、どこから読んでも読みやすい、という本もありますが…
藤田:ロジカルな本づくりにこだわるのは、僕自身があまり、多くの項目がフラットに並んでいるような本を読むのが得意じゃないというのも、ありますね。例えば格言みたいなものを1つ、見出しでドンと出して、その解説を読んで、まだ次の見出しで格言がドン…というのも、読んだ瞬間はハッとするかもしれないし、「明日から頑張るぞ」「試してみるぞ」と思うかもしれないけれど、たぶん、1カ月後にはほとんど何も残らないんじゃないかな…。少なくとも、僕個人はすぐに忘れてしまいます。読者の思考・行動に継続的な変化を与えるだけのインパクトというのは、やはりある程度のコンテクストからしか生まれないと思います。それに、即効性のあるメソッドとかライフハックみたいなものを断片的に伝えたいのであれば、ウェブのほうが向いている気がします。コンテンツ全体が「1つのストーリー」のなかで結びつき合っている状態を目指したほうが、「本」という閉じたメディアの特性を生かせるのではないかと思いますね。
——短くわかりやすい文章を並列にするよりも、ロジカルで文脈がある方が、人の行動変容に効果的につながると。そしてそれが、本の性質にも合っているということですね。
藤田:今回は著者が非常に書ける方だったので、ほとんどリライトをしていませんが、実は僕は、かなり著者の原稿に手を加える方だと思います。読みやすいようにするのはもちろんですが、著者がうまく言語化できていなくて、読者に意図が伝わりづらくなっている部分があれば加筆することもあります(もちろん、最終的に著者のOKはとりますが)。その意味では、ほとんど原稿に手を加えていない今回の本はイレギュラーですね。
「誰が言うか」ではなく
「コンテンツの面白さ」にこだわりたい
——『13歳からの〜』で提示された6つの問いは、アートにおける「常識からの解放」を提示するものでした。これを出版業界に置き換えたとき、解放していったほうがいい常識などは、あると思われますか?
藤田:いくつかあります。1つは、出版社というか、僕ら編集者の仕事には「文字を扱う仕事だ」という思い込みがあるんじゃないかなと。例えば、僕自身は人前で話すことが得意だと思ったことがなかったのですが、以前にオンライン読書会のファシリテーターをやってみたら、参加者のみなさんに意外と満足していただけたことがありました。編集者のスキルというのは、そういうライブの場を編むときのように、ほかの場面でも使える余地があるんだなと気づかされました。
——たしかに、編集者の能力を「文字を扱う」こと以外に使うことで、新しい可能性が開けていけそうですね。
藤田:もう一つ、特にビジネス書や実用書をつくっている編集者は、「本は役立たなくちゃいけない」という呪縛にとらわれがちだという気がしています。たとえば、うちの会社の企画会議では、みんなが口を揃えて「その企画の読者ベネフィットはなんですか?」と質問するんです。でも、最初から言語化できるベネフィットって、あまりたいしたものじゃない可能性もあるなと思っていて。「本は読者の役に立って当たり前」という常識にとらわれることで、本づくりの可能性が狭まっているんじゃないかと感じることはあります。
——たしかに、なんの疑問も持たず、「ベネフィット」ありきで企画を考えていたように思います…。
藤田:そしてもう一つは、「何を言っているか」ではなく「誰が言っているか」に重きが置かれすぎていないか、ということ。昨今、SNSの普及もあって、「誰が言っているか」が大事にされる流れがありますが、これが書籍の世界にも広がってきていることに僕はずっと違和感があって。例えば、著者のAさんのことが好きだったら、「Aさんが言っているなら何でも聞こう」みたいな風潮になってしまっていないでしょうか。これってちょっと危険というか、気持ちわるいなと思っています。
——世の中に情報が溢れているぶん、情報のキュレーションを自分ではなく、誰か著名な他人にゆだねていると言えるかもしれませんね。
藤田:10年前だと、帯に著名人の推薦を入れて…なんて、あまり意味をなさなかったのが、今だと、ベストセラーはだいたい推薦文が入っている。みんな本を買うときにも、「この人が勧めるなら読もう」って判断しているということです。この『13歳からの〜』も「自分の答えを見つけることが大事」といいながら、3人の先生に推薦文を寄せていただくことで、読者に選んでもらいやすくしている。この本自体がそういう自己矛盾を抱えているわけです。正直、この点については、忸怩たる思いが自分の中にあって…。
——なるほど、判断が難しいポイントですね。
藤田:もちろん、帯に推薦文をくださった3人の先生の本が僕は大好きですし、「この先生が推薦しているならば買おう」と読者が判断すること自体は否定するつもりはありません。でも、そこに違和感を抱き続けることも大事だなと。書籍の本当の価値って、「何が書いてあるか」にあるはずです。極論すれば、「誰が書いたか」「誰が勧めているか」なんてどうでもいい。例えば著者がSNSで影響力があるかどうかよりも、一個一個のコンテンツが優れているかどうかで、本が評価される方が健全だと思いませんか? これってちょっとナイーブすぎる考え方なんでしょうか…。
編集者の
「表現の花」とは何なのか?
——私自身、『13歳からの〜』を読んで、ずいぶんと考え方というか、世界を見る目が変わった気がしています。自分がいかに常識にとらわれていたか。答えのないことに対して、無理やりたった1つの答えを見出そうとして苦しんでいたか…。インタビューの最後に、藤田さん自身が、『13歳からの〜』を作る過程で、考え方が変わった部分などあれば教えてください。
藤田:僕自身は、考えることがもともと好きなので、いわゆる「正解主義」みたいなものに対しては違和感がありました。なので、この本によって「新たに気づかされた」というよりも、「そうそう!」と共感したというのが正直なところですね。ただ、自分の足場を崩される感じがしたのは「花職人」の話の部分です。
——「花職人」は、自分の興味のタネから探究の根を伸ばしていく「アーティスト」と、似て非なるものとして登場しましたね。「たとえ花職人として成功を収めても、似たような花をより早く、精密につくり出す別の花職人が現れるのは時間の問題です」という一文は、胸に刺さりました。
藤田:編集者という仕事を考えたとき、編集者って、ある意味で「他人のメッセージを形を整えて出す」という、花職人そのものなんじゃないかと思ったんです。だから、「花職人になっちゃいけませんよ」という本を作っている僕自身が、まぎれもない花職人であるこの状況って一体何なんだろうというモヤモヤは、いまだに自分の中にあって…。
——なるほど。たしかに編集者というのは、「他人の表現」をお手伝いする仕事ですから、「花職人」なのかもしれませんね。
藤田:もちろん、著者が「表現の花」を咲かせるプロセスを手伝うことにも、独特な楽しさや喜びはあると思います。しかし、その「花」を支えているのは、やっぱり著者自身の「興味のタネ」であり「探究の根」です。そう考えると、編集者というのは、本来的には「アーティスト」たり得ないのかな…と。まだ答えは出ていませんが、これについては今後も考えていきたいなと思っています。
——例えば、どんな本を企画するかは、編集者なりの「興味のタネ」や「探究の根」が生きてくる部分かもしれませんね。編集者らしい「アート」とは何なのか…。私も考えていきたいと思います。