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志茂田景樹

ホップ・ステップ・ジャンプで始まった
僕の作家人生

志茂田景樹さん

(直木賞作家)

Kageki
Shimoda

雑誌の新人賞作品を読んで、
僕でも書けるんじゃないかなと

——今日は『私の出版物語』というテーマで、志茂田先生のお話を聞かせていただきたいと思います。まず、大学を卒業されてからさまざまな職業を経験されたとうかがっておりますが、どんな経緯で最初の作品を出版されたのでしょう。そのあたりのことをお話しいただけますでしょうか。
志茂田:大学を卒業して、最初に勤めたのが弁護士事務所でした。その後はそれこそ駆け足のように職を転々としてきたわけですけれど、大きく分けると、弁護士事務所はともかく、そのあとの職種はみんな物を売るセールスの仕事でした。頭を下げて実績を上げていかなければならないような仕事で、私は性格的にあまり営業職が向いていなかったんでしょう。どこでも思うようないい成績を収めることができませんでした。
言ってみれば、この時期は三段跳の第一段階のようなものですね。
——「ホップ・ステップ・ジャンプ」の「ホップ」ですね。では「ステップ」のきっかけはどういったものだったのですか?
志茂田:次の段階は、興信所や保険の調査会社という、“調べる”職種だったんです。これまでの頭をぺこぺこ下げて物を買ってもらうのとは違う仕事だったし、調べることも昔から嫌いじゃありませんでした。わりと自分の性格に合っていたんでしょうね。
 なかでも保険調査員が一番長続きした仕事でした。出張が多くて月の3分の2は地方に行っていました。全国津々浦々、辺鄙な土地にも行くので移動時間がおそろしく長い。私はその時間、ジャンルを問わず、それこそ手当たり次第に本を読んで過ごしました。小説雑誌や文芸雑誌など新しいのが出ると必ず買っていたほどです。
 それらの雑誌に時々新人賞受賞作品が載っていて、どんな作品だろうと興味を持ってよく読んでいたんです。そのうち、このくらいの受賞作品だったら僕にも書けるんじゃないかなという思いが浮かんできて、だったら応募してみようと。
—— それまでは作家になりたいと思ったことはなかったのですか?
志茂田:小学生、中学生の頃は大人向けの小説を読むくらい本が好きだったんですが、小説家になろうなんて気持ちは不思議となかったですね。単に本を読むのが好きな子どもでした。それなのに高校生、大学生の頃になると、映画にはまって本を読むどころではなくなってしまいました(笑)。

いつの間にか
フリーライターになっていた・・・

—— それでは保険調査員をしながら、作家を目指していらっしゃったのですか?
志茂田:いいえ。28歳で保険調査員になってから29歳の半ば過ぎまでその仕事をしていたのですが、折角、新人賞に応募して作家を目指すんだったら、少しでも活字の世界に近いところで働いてみようと思って建設関係の業界誌に転職しました。
——ホップ・ステップ・ジャンプの3段階目ですね。
志茂田:そう。その後、知り合いの紹介で『週刊テレビガイド』の取材記者になり、アンカーライターを経て、その頃のスターを主人公にした連載小説を執筆をしているうちに、PR誌など色々なところから書いてみないかと依頼が来るようになりました。自分でも知らない間にフリーライターになっていたんです。

知人のアドバイスが
新人賞受賞のきっかけに

志茂田景樹さん

——見事に出版業界への転身を遂げたんですね。その後新人賞受賞に至るまでに、何かターニングポイントのようなものはありましたか? 
志茂田:仕事をしながらも相変わらず懸賞小説には応募していました。29歳から応募し始めて36歳で初受賞するまで、結果的には7年かかりましたが、3~4年目くらいから候補作には毎回のように挙げられるようになってきました。それで何となく手応えは感じていたんですが、なかなか受賞するには至らなかったんです。
 そんな時、メディアの業界にいる知人が「君の小説は、ストーリーは面白い。でも懸賞小説として応募しているのはみんな短編じゃないか。短編だとストーリーの面白さはあんまり関係ない。登場人物がよく描けているかどうかが重要なんだ。ストーリーを作ろうと思わないで書いてみたらどうだ」とアドバイスしてくれたんです。
 はじめはちょっと反発していたものの、よく考えてみたらそうかもしれないと思って登場人物を描き分けることを念頭に置いて書いたのが、『やっとこ探偵』です。

やっとこ探偵

——その『やっとこ探偵』が、「小説現代新人賞」受賞につながったのですね。
そこから直木賞受賞までの道のりはどうだったのでしょうか?

志茂田:新人賞を受賞してからは意外と順調満帆でした。多くの場合、たとえ新人賞を受賞したからといってもすぐに商業雑誌に作品を掲載してもらえるというものではありません。僕の場合は新人賞を取るまでに時間がかかりましたが、受賞後わりとすぐに他社の雑誌から原稿依頼が来るようになって、新人賞を取った翌年には書き下ろし長編小説を書いていました。それが祥伝社から出た『異端のファイル』という作品になりました。

『黄色い牙』の
 主人公のモデルは父

黄色い牙

——展開が非常に速いですね。

志茂田:その次に出した単行本の書き下ろし小説が再びヒットしたあたりで、僕の中に自分が本当に書きたいものを書いてみたいと思う気持ちが生まれてきました。

 その矢先、父親が体調を崩しました。医者から宣告されたのは末期の直腸ガンで、余命3ヵ月ということでした。

 父は国鉄の職員で、僕が子どもの頃はよくトンネル掘りの現場である北海道に長期出張していました。他人の面倒をよく見る人で、融通は利かないけれど芯の通った心の優しい人でした。実は『黄色い牙』の主人公は、僕の父親を意識して描いたんです。

——直木賞の受賞作になった作品ですね。主人公のモデルはお父様だったのですか。お父様はそのことに気付いていらっしゃいましたか?

志茂田:さあ、どうでしょうか。でも受賞を知ってかなり喜んでくれていたようです。その頃の父はすでに布団から起き上がれないほど衰弱していたんです。それが受賞発表の翌朝、みずから起き上がって家のポストまで受賞を報じる新聞を取りに行ったと、後に母から知らされました。まるで骸骨が寝間着を着ているような様子だったそうです。それから父は少し持ち直し、医者からの宣告より7ヵ月も長く生きてくれました。

 『黄色い牙』の主人公のモデルが父であることを直接本人に言ったことはないんです。父も僕には何も言いませんでした。お互いに照れもあったんでしょうね。大切な作品となった『黄色い牙』の主人公に父という一人の男を投影しながら描けたことは、作家として幸せなことだと思っています。

——『黄色い牙』にはそういうエピソードがあったのですね。男同士、父と息子の絆を感じて胸が熱くなります。 

 才能のある人と出会いたくて
「KIBA BOOKS」を立ち上げた

志茂田景樹さん

——その後、作家活動やタレント活動などでますますお忙しくなられたところで、「KIBA BOOKS」を立ち上げられましたよね。あれはどういうお考えだったのでしょうか?
志茂田:その当時は執筆の傍ら講演活動やバラエティ番組にも出演していて、時間がいくらあっても足りないくらい多忙な毎日でした。そして気がついたら1990年代も半ばをいつのまにか過ぎていて……。そんな時に自分で出版社をつくってみようかな、という思いに駆られまして。
——それはまた突然といいますか(笑)。
志茂田:自分が書きたいものを自分で出版するなら文句はないだろうという思いもあったのですが、一種のプロデューサー感覚というものでしょうか。才能のある人と出会ってみたい、その人を世に送り出してみたいという欲求に駆られたんです。それまで自分の作品を書きまくってきた反動からだったのかもしれません。じゃあ、「それいけ」という感じで、あっという間に出版社を立ち上げたわけです。
——それが「KIBA BOOKS」の誕生ですね。では、先生ご自身の作品というよりも、他の方の作品を出すという目的のほうが強かった?
志茂田:そうですね。これまで「KIBA BOOKS」は70~80点の書籍を出していると思いますが、僕自身の作品以外に他の作家さんのものが20点くらいはあると思います。「KIBA BOOKS」をスタートしたのが1996年の秋。実はこの年を境に出版業界はマイナス成長になっていくという象徴的な年だったんですよ。それからは周知のとおり、世間の景気不景気に関係なく出版業界は衰退を続けていますよね(笑)。

本物の作家を志す人にとって、
今は“いい時代”

——「出版不況」が叫ばれているこのご時世に作家を目指すのは容易なことではないですよね。私もこれから本を書く人たちを応援したいという気持ちがあって、この会社「スターダイバー」を作ったんです。
志茂田:僕もこちらで作られている作品を見ていて、そんな気概を感じていました。本を作る側には表現者よりもっと苦しいこともありますよね。僕もマイナス成長の時に出版社を始めたので、よくわかります。とても勇気ある決断だと思いますよ。すでに周囲の人から散々言われているかと思いますが(笑)。
——はい。この会社を立ち上げる際に、「よりによって、どうして出版不況の今、本作りの会社をつくるんだ?」と、多くの方から言われました(笑)。もちろん心配をして助言してくれたのでしょうが……。
志茂田:「今がどういう状況だか知ってるの?」とかね(笑)。
 でもね、作家志望の人にとっては、今ってある意味「いい時代」じゃないかという気がしますよ。こんな時代だからこそ本当の意味で作家を目指しやすいというか、ちょっと厳しい言い方をすると、“真贋”が分かれますから。

——本を作る側からすれば、こういう時代だからこそ逆に、力強い才能に出会える確率が高いということですね?
志茂田:そうですね。僕たちの時代には膨大な書き手志望者たちの中で、本物の書き手が埋没したまま最後までチャンスを得られないでいることもあったかもしれません。でも今は違います。出版界の既成概念が崩れ、価値観が揺らいでいる時代です。だからこそ、きちんと自分自身を持って自分の表現ができる人が認められる時代になったと思いますね。
——書き手にとっても、私たち作る側にとっても“今がチャンス”ということですね。
 最後に、本を出したい、作家になりたい、と思っている方々がくじけそうなときに自分で自分を励ますようなコツがあれば教えていただきたいと思います。

志茂田:「今が出発点」。
 要するに初心にかえるということなんですが、くじけそうになったら「今が出発点なんだぞ」と自分に言い聞かせる、唱えてみる、そうすると再び力が湧いてくるのではないでしょうか。

——「今が出発点」。力強いフレーズですね。くじけそうなとき、私も是非唱えてみたいと思います。   
 本日はどうもありがとうございました。

プロフィール

志茂田景樹

さん

(シモダ・カゲキ)

1940年3月25日静岡生まれ。
中央大学法学部卒業。
1976年『やっとこ探偵』で小説現代新人賞受賞後、1980年に『黄色い牙』で直木賞、1984年の『汽笛一声』では文芸大賞を受賞するなど、作家としての地位を不動のものにする。1999年に初の絵本を発表し、絵本作家としての著書も多い。同年に「よい子に読み聞かせ隊」を結成以来、現在も隊長としての読み聞かせ公演を続けるなか、講演活動など多方面にわたり活躍している。2008年には専修大学の創立者をモデルにした歴史小説『蒼翼の獅子たち』(河出書房刊) を発表。膨大な資料の読み込みと精力的なアメリカ取材を経て生まれた同作品は骨太で清冽な青春小説として各方面から高い評価を得ている。
株式会社志茂田景樹事務所代表取締役。

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